セーラー・ジェリーやエド・ハーディーが活躍するもっと前に活躍し、アメリカンタトゥーの父とも呼ばれるのがAugust "Cap" Coleman(キャップ・コールマン)です。
コールマンは1884年にオハイオ州のシンシナティ近くで生まれました。
お父さんがタトゥーアーティストだったと言っていたそうですが、
記録には残っておらず、真偽のほどは定かではありません。
1918年ごろ、コールマンが34歳の頃に、バージニア州のノーフォークにタトゥーパーラーをオープンさせます。
スタジオのあった場所は東のメインストリートにあり、その通りは沢山のタトゥースタジオやストリップ劇場などがひしめき合う通りだったようです。
その時代にタトゥーを入れるのはセーラー達かサーカス団の一員か犯罪者に限られていた様な時代だったそうですが、ノーフォークには世界中から沢山の船が行き来する港があり、多くのセーラー達で賑わっていたので、沢山あるタトゥースタジオも埋まっていたそうです。
コールマンのタトゥースタジオの名刺には、『カバーアップ』『タトゥーマシンや針、デザインなどのタトゥーサプライ』などをうたっていたそうですが、サプライのビジネスにはあまり力を入れていなかったそうです。
名刺にはコールマンの写真と、彼を特集した雑誌の記事などだけが書かれていて、お店の住所などは一切書かれておらず、『メインストリートにあるコールマンのお店を探して!』とだけ書かれていたそうです。
それほど、名前が知られていたという事ですね。
タトゥービジネスでは世界的に有名な『Spaulding and Rogers』と言うタトゥーサプライをオープンさせ、タトゥーマシンのビルダーとしても名が知れ渡っているポール・ロジャース(Paul Rogers)は コールマンと共に働いていた時期があり、その時にタトゥーマシンや様々な事をコールマンから学んだのだそうです。
1950年コールマンが66歳の時にノーフォーク市はタトゥーを全面的に禁止し、タトゥースタジオも閉鎖に追い込まれます。
他の沢山の彫師たちと同じく、エリザベス川を渡ったポーツマスに新たにタトゥースタジオをオープンさせます。
1973年のコールマンが89歳の時に、彼の家の近くのエリザベス川でコールマンの遺体が発見されました。
足を滑らせて川に落ちて亡くなったと報告されました。
コールマンはタトゥーで手にしたお金で、株式投資をしており、 コールマンの死後その遺産の多くは彼の遺言どおりに難聴者の学校や子供たちへの募金へと充てられたのだそうです。
現在ではその時代のタトゥーに対する大切な何かが失われてしまった様にも捉えられますが、タトゥーを入れる者にとってはその人個人の深い思いなどを表し、一つの誇りとして背負っているという点は変わらないのかも知れません。
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