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タトゥー業界に影響を与えた100人 - No.10

ポール・ロジャース(Paul Rogers)

ポール・ロジャース(Paul Rogers) ポール・ロジャース

タトゥー界の父とも言われる『ポール・ロジャース(Paul Rogers)』は1905年に北カリフォルニアで生まれました。
紡織業が盛んだった時代で、紡織工場を渡り歩く様に引っ越しを繰り返していたそうです。

子供に対する労働基準法がまだ確立していない様な時代だった為に、13歳の頃には紡織工場で働き始めます。

『苦労しかなかったよ。みんなそう感じていたんじゃないかな。』
ポール・ロージャースは17歳まで紡織工場で働き続けました。

1926年、ポールは21歳の時にファーストタトゥーを入れたそうです。
そして、タトゥーアーティストを一生の職業にしようと思い立ちました。

ポール・ロージャースのタトゥー1

バージニア州のノーフォークでタトゥースタジオ兼タトゥーサプライヤーを営んでいたE.J.Millerから、通信販売でタトゥーキットを購入し、友人や近所の人達にタトゥーを彫って過ごしていたポールは、新たなる冒険と新しくタトゥーを彫る人を求めて、 1932年からJ.J. Page Showに参加します。
同じ年の後半にはJohn T. Rea Happyland Showに参加し、そこでボスの娘さんであった『Helen Gensamer』さんと結婚します。

奥さんと共に夏はショーで働き、冬は紡織工場で働く生活を続け、1942年にはサウスカロライナ州のチャールストンでタトゥーアーティストとしての職を得ます。

ポール・ロージャースのタトゥー2

その後、1945年にはノーフォークのキャップ・コールマン(August "Cap" Coleman)と共に働くチャンスを得ます。
1950年にノーフォーク市がタトゥーを全面的に禁止するまでそこで働き、その後はエリザベス川を渡ったポーツマスに移転し、数年間はそこにいましたが、Lathan Connellyと共にバージニア州ピーターズバーグとノースカロライナ州ジャクソンビルに2店舗お店をオープンさせます。

1955年には2店舗を行き来する生活に疲れ、ポールはジャクソンビルに、Lathanはピーターズバーグにそれぞれ定住する事になりました。
このジャクソンビルがそののち『Spaulding & Rogers』タトゥーサプライの拠点となります。

ノースカロライナ州ジャクソンビルからアラスカへ、 そしてニュージャージー州カムデン、 フロリダ州ジャクソンビル などを転々とた後、 フロリダ州ジャクソンビルに家を購入し そこで有名なポール・ロジャースモデルのタトゥーマシンを製作します。

1988年ころから発作に悩まされ、1990年、ポールが』84歳の時に亡くなりました。

タトゥーへの情熱に56年間と言う長い時間を注ぎ込んだポール・ロジャースの名は、広く語り継がれ、Micky Sharpzでもポール・ロジャースモデルとしてタトゥーマシンが生産販売されるほどの人気を誇っています。

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