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タトゥー業界に影響を与えた100人 - No.20

レオナード・L・ストーニー・セント・クレール(Leonard L. "Stoney" St. Clair)

レオナード・L・ストーニー・セント・クレール(Leonard L. "Stoney" St. Clair) ストーニー・セント・クレール

レオナード・L・ストーニー・セント・クレール(Leonard L. "Stoney" St. Clair)さんは1912年ウエストバージニア州のブルーフィールドで生まれ、8人兄弟の一番上のお兄さんで、15歳の時に剣を飲み込む『ソードスワローワー』としてサーカス団に入団します。

1928年にサーカス団がバージニア州のノーフォークの町に降り立った時、いとこと共にダウンタウンへ遊びに行った時に初めてタトゥーショップを見て、彫師がお客さんに鷲のタトゥーを彫っていたのだそうです。その鷲のデザインを見て、『自分ならもっと上手に出来るのに』と思ったのだそうです。

そのショップはかの有名なタトゥーレジェンドの一人『キャップ・コールマン(August "Cap" Coleman)』のお店だったので、お客さんは途切れなく、かなり流行っていたのだそうです。
そこでカウンターにあった紙にさっと鷲を描いて見せたのだそうです。
素早く描かれた鷲のデザインはレオナードの言葉通り素晴らしく、 キャップ・コールマンは感心して『どこで描き方を習ったのか?』と聞くと『子供の頃にいた病院で習った』と答えたのだそうです。

レオナードは子供の頃、扁桃腺が腫れて、関節リュウマチを患い、そこからずっと車いすの生活を送っている彼は、子供の頃2年間入院生活を送っていて、その時に病院で絵の描き方を教わったのだそうです。

ストーニー・セント・クレールさんのタトゥースタジオ1

その次の日、再度お店を訪れるとキャップに『今までタトゥーの事について考えた事はあるのか?』と聞かれ、『いいえ、今まで全く考えた事もなかった。タトゥー好きになるとも思わなかった。』と正直に答えたのだそうです。
ですが、何かがレオナードをお店へと通わせます。
そして、通い続けて4日目でキャップは2台のタトゥーマシンと黒と赤の2色のインクだけを渡します。たった2色ですが、それだけでも十分タトゥーを彫る事は出来ます。
タトゥーマシンの使い方を教え、友人に彫ったりして練習する事を勧め、もし何か分からない事があれば、手紙をよこすように言います。

ストーニー・セント・クレールさんのタトゥー2

そのマシーンを手に帰ったレオナードは周りの友人たちにタトゥーを彫り始めます。
多くのタトゥーアーティストと同じように、レオナードも自分の体にも彫って練習をします。
彼のファーストタトゥーは自分で彫ったデザインで、手の甲への星と、下唇の内側への本名の『レオナード』を短くした『Leo』の文字と、まぶたへの星なのだそうです。
結構変わった場所ですが、レオナードいわく、そこが汗をかかなくて一番彫りやすかったからなんだそうです。

ストーニー・セント・クレールさんのタトゥー3

そして、ある日転機が訪れます。
所属していたサーカス団のタトゥーアーティストが、酔っ払って喧嘩をして解雇されます。
ボスはレオナードに『俺はお前がこっそりタトゥーを彫ったりしているのを知っているんだ。来週新しいタトゥーアーティストがやってくるまで、ハートでも名前でも彫れる物をなんでも彫ってみろ。』と言います。
その時レオナードはまだ16歳だったそうです。

その後、各地を転々として様々なタトゥーアーティストと共に働き、1936年にフロリダ州タンパに初めてのタトゥースタジオをオープンさせます。
その後も数軒のお店を開いています。

その頃のタトゥーショップと言えば、現在の様に『お客さんが第一』と言った雰囲気はなく、来るお客さんも悪く言えば『ガラの悪い』人が多かったのだそうですが、レオナードのお店ではお客さんはコーヒーを飲みながらサンドウィッチを食べていたりと、まるで家の様な良い雰囲気だったのだそうです。
『人に対して尊敬の念を持って接すれば、同じように接してもらえるものだ。そうしなければ、自分の人生はもっと厳しいものになる』
と人生で学んだのだそうです。

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