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アル・シーフレー(Al Schiefley)

アル・シーフレー(Al Schiefley) アル・シーフレー

Al Schiefley(アル・シーフレー) はオハイオ州サンダスキーの有名な自宅兼スタジオ『Sandusky Tattoo Club』のオーナーで、 約25年以上もパールストリートのお店を続けていました。
セーラー達が立ち寄る港があり、あるがビジネスをやっていくのに十分な沢山の船乗りたちがタトゥーを彫りに訪れたのだそうです。

海外に限らず旅行が好きだったアルは、世界のタトゥースタジオを見て回り、ノースカロライナ州のジャクソンビルの『Spaulding & Rogers(スポルディング&ロジャース)』を訪れ、背中はハック・スポルディングに彫ってもらっています。

1957年にアルと奥さんとMilton Zeis(ミルトン・ゼイス)とミルトンの奥さんでイギリスのブリストルを訪れ、Bristol Tattoo Club(ブリストルタトゥークラブ)のタトゥーコンベンションにゲストで招待されています。

Al Schiefley(アル・シーフレー) のタトゥー2

ブリストルにいる間には光栄にもBristol Tattoo Club(ブリストル・タトゥー・クラブ)のオーナーであるLes Skuse(レス・スクセ)にも彫ってもらっています。
そのタトゥーデザインの一つには、左肘の下あたりに手と手が握手をしていて、『LES』、『AL』、『1955』と彫られていて、二人の仲の良さを表していますね。
他にも尊敬するロンドンのタトゥーアーティストRich Minginsにも、彫ってもらったそうです。

一番古いタトゥークラブと言われているBristol Tattoo Clubのメンバーは、メンバーの証として体のどこかに黒いコウモリのタトゥーを入れていたのだそうです。

Al Schiefley(アル・シーフレー) のタトゥー1

1956年にアメリカのサンダスキーで初めて開催されたタトゥーコンベンションにはアルはもちろん、Les Skuse、Spaulding and Rogers、Milton Zeis、D.C. Paulなど沢山の有名タトゥーアーティストが参加し、大成功を収めています。

この時代のタトゥーアーティストはサプライヤーを兼任している事が多いですが、アルも自分で作ったタトゥーマシンを販売していたかどうかは分かりませんが、タトゥーの機材を販売していたそうです。

1973年に心臓発作で亡くなりました。

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