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タトゥー業界に影響を与えた100人 - No.19

レッド・ギボンズ(Charles "Red" Gibbons)

レッド・ギボンズ(Charles "Red" Gibbons) レッド・ギボンズ

レッド・ギボンズ(Charles "Red" Gibbons)さんはワシントン州の東部にある工業都市『スポケーン』のアーケードで タトゥーアーティストとして生業を立てていました。
レッド・ギボンズさんの生い立ちや若い時の事などはあまり分かっていません。

レッド・ギボンズさんはワシントンで出会った女性『Anna "Artoria" Gibbons(アナ)』さんのおかげで、有名になったと言っても過言ではありません。
本名は『Anne』さんでステージネームが『Astoria Gibbons』さんだそうです。

アナさんはウィスコンシン州のリンウッドと言う町で7人兄弟の一人として生まれます。
その後ワシントンに移り住むのですが、ほどなくしてお父さんが亡くなり、家計を助けるために働きに出て、そこでレッド・ギボンズさんと出会います。

レッド・ギボンズさんが奥さんのアストリア・ギボンズさんに彫ったタトゥー1

1912年に二人は結婚し、タトゥーに携わる仕事を続けていくために、二人はカリフォルニアに移り住みます。
数年後に一人の娘さんをもうけ、アナさんがタトゥーレディーとしてパフォーマンスすれば、もっと良い暮らしが出来るのではないか、世界を見て回れるのではないかと二人で相談して、アナさんは全身にタトゥーを彫る事になります。
アナさんの体に彫られたタトゥーデザインは、アナさんが好きなミケランジェロやラファエルの絵画の様なクラシックな天使などの宗教的なモチーフや愛国心の強くあらわれたジョージ・ワシントンのモチーフなどがカラーでとても綺麗に彫られていたのだそうです。

レッドさんによって全身にタトゥーを入れたアナ・ギボンズさんは、1900年代半ばから当時はサーカスレディとして一番の人気を誇っていたのだそうです。
アナさんがステージでパフォーマンスする傍らで、レッドさんは各地を転々としながらタトゥーを彫り続け、徐々に評価を上げていきます。
その頃のタトゥーはクオリティをあまり気にしないタトゥーアーティストも多かったそうですが、レッド・ギボンさんは綺麗な芸術的なタトゥーにこだわり続けます。

レッド・ギボンズさんのタトゥー2

ですが、1940年に残忍な強盗と建設事故のアクシデントによって、数度の手術の甲斐もなく1946年には視力を失ってしまいます。
1947年からアナさんはショーをリタイヤし、レッドさんの介護をします。
その後、1956年からアナさんは再度ショーに復帰する事を決め、レッドさん回復を待って彼を連れて再びパフォーマンスを始めます。
そして1964年にレッドさんが亡くなるまで、続けられました。

その後はパフォーマンスを続けたアナさんは1981年にリタイアし、テネシー州に住む娘家族と共に過ごし91歳まで生きて亡くなりました。

日本の伝統的な手彫りの刺青に見られるように、またポリネシアに伝わるトライバルタトゥーの様に、人々は先の尖ったものをトントンと肌に叩きつけることによって手でタトゥーを彫ってきました。

電動式のタトゥーマシンが開発されたことによって、タトゥーの技術は飛躍的に発展し、広く広まりました。

現在のロータリーのタトゥーマシンとサミュエルさんが特許を取ったタトゥーマシンは、時代やタトゥーのスタイルが昔と変わった現在でもすごく大きな違いがあるわけではなく、昔の発明がどんなに偉大だったのかを考えさせられます。

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