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タトゥー業界に影響を与えた100人 - No.48

スタンレー・モスコウィッツ(Stanley Moskowitz)

スタンレー・モスコウィッツ(Stanley Moskowitz) スタンレー・モスコウィッツ

バワリー・スタン(Bowery Stan)とも呼ばれるスタンレー・モスコウィッツ(Stanley Moskowitz)は1946年から、彼が12歳の時からタトゥーを彫り始めました。
ビル・ジョーン、ジョンジーが12歳の彼に彫り方を教えてくれたのだそうです。

彫師であったお父さんを手伝うために12歳で学校を辞めて、タトゥーアーティストとして働くようになりました。

お父さんのウィリアム・モスコウィッツ(William Moskowitz=Willie)は1918年にロシアから移住し、チャイナタウンで理容店を営んでいました。
1920年代にチャーリー・ワグナー(Charlie Wagner)にタトゥーを教わり、その理容店の地下でタトゥーを彫り始めました。

スタンレー・モスコウィッツ(Stanley Moskowitz)のタトゥー1

スタンは12歳前後の頃は放浪願望があり、仲間5人と南カリフォルニアに向かったそうです。
仕事があるだろうと思い、南なので暖かいだろうと思っていたら、寒いし、雨は続くしでお金もなくなりました。
そして農夫にショットガンを突きつけられ、刑務所に連れて行かれたそうです。
父親がお金を出してくれて、刑務所から出ることが出来ました。
ジョンジーがお父さんに「スタンは学校に行きたくないと言っている。彼に彫り方を教えてやろう」と言ってくれたそうです。

お父さんはロシアから移住して以来、病気を患っていたのでお父さんを手伝いたかったのだそうです。

お父さんは33歳の若さで亡くなりました。

お父さんのウィリアム・モスコウィッツ(William Moskowitz=Willie)がタトゥーを彫っているところ

第二次世界大戦の真っ最中で、バワリーにあるバーバーショップ兼タトゥースタジオには多くの兵士たちがタトゥーを彫りに集まってきていたのだそうです。
自分が戦争から無事に帰ってこれるかどうか分からない中で、みんな沢山のタトゥーを入れていたそうです。
愛国心、お母さんや彼女への愛などを表すモチーフなどが好まれたそうです。

衛生管理も現在とは異なり、水で洗い流しただけのお粗末な管理、針の使い回しなどもされていたそうです。

弟のウォルター・モスコウィッツ(Walter Moskowitz)は1937年に生まれ、1950年代からタトゥーを彫り始めました。

1960年代にニューヨークでタトゥー禁止令が出され、兄弟で共にロングアイランドに移転し、新しいお店をオープンさせました。

スタンレーとウォルター兄弟

長いお休みなどを取る事もなく、自分のお誕生日をお祝いする事もなく、ディナーに出かけたり、映画を観に行く事もなくずっとタトゥーを彫り続けてきたそうです。
時には朝7時から彫り始めて夜中3時まで彫り続けたこともあったそうです。
朝に店に行くと、毎日お客さんが待っていたのだそうです。
前夜から並んでいた人もいたとか。

1997年に同じ地域で違うお店を営むMikeさんにお店を売り、メイン州にある「Bar Harbor Tattoo」に招待されて、働いていました。

「自分は自分の人生を全てタトゥーに捧げて来たけれど、今は天国にいるような気分だしそれでいいんだ」と語っています。

弟のウォルターは2007年に癌のため亡くなっています。

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