カーネル・トッドは1929年9月30日に生まれ、1947年からタトゥーを彫り始めたのだそうです。
農場で育ったトッドは、カーニバルが町にやって来た時位しかTattooを見ることはなかったそうです。
トッドは16歳から陸軍に入隊し、サンアントニオの空軍基地に駐留していました。
サーカス団と共に長年旅をして、トレーラーを購入してそこで彫っているジャック・タイロンと出会います。
彼と話しをして、そこで小さなタトゥーを彫ってもらい、マシンを譲ってくれないかとたずねたそうです。
その頃は今のように雑誌が販売され、彫り方が紹介されているわけでもなく、彫師たちはみな彫る技術を秘密にしていたそうで、何も教えてはもらえなかったそうです。
マシンは手に入れることが出来たけれど、フットスイッチはなく、動かすたびにコンセントを抜かなければいけないようなマシンだったそうです。
宿舎に戻り、手に入れたマシンで仲間を彫ったりしていたそうです。
その後コロラド州デンバーに配置転換となり、そこでタトゥーアーティストに出会い、マシンを譲ってもらったり、彼のお店で働かせてもらったりしたそうです。
その後またカリフォルニアに移転しますが、任務が終わり18歳のときにデンバーへと戻り初めてのタトゥーショップをオープンさせます。
最初の3年ほどは彫り方などの技術を習得するのに、ああでもない、こうでもないともがき苦しんだそうです。
ケンタッキーに移り、成功していたのですが、カリフォルニアから来たボブ・ショーと出会い、「若者よ、西へ行け」と言う言葉に従い、ボブと共にカリフォルニアへと移りボブのおじさんのバート・グリムのお店で彫り始めます。
その頃は、タトゥーデザインと言うよりも、何年もしっかりと肌に残っていることが重要視されていたそうです。
コールマンやセーラー・ジェリーがすごい人気だったそうです。
その内にGood Time Charlieがシングルニードルで彫っているのを見て、あまりにも軽すぎて今までのスタイルとは全然違っていたので、こんなんで肌に残るのか?と思ったけれど、人々はそれを求め、求められるものに合わせて、トッドもシングルニードルの技術を習得していったのだそうです。
彫師なんてみんな誰かしらを真似てやっているのさ。
誰かが何か良さそうな事をしていたら、同じようにやってみる。
やればやるほど、上手くなっていく。
それが、成功への道。
すべて分かったと思った時点で、成長は望めない。
と語っています。
45年を彫師として作品を残し、癌との長い闘病の末、1994年6月12日夏に亡くなっています。
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