マイク・マローン(Mike Malone aka Rollo Banks)はその生涯を通して、
タトゥーを世に広め、より多くの人にオープンなタトゥー界への発展に尽くした人物です。
1942年にカリフォルニアのサンラファエルで生まれ育ち、
サンフランシスコやニューヨークを転々とします。
ニューヨークではThom de Vitaに出会い、タトゥーの美しさに魅了されます。
その当時はまだ違法だったニューヨークでしたが、Thom de Vitaに出会ってすぐに、アパートの一室を使って、タトゥーを彫り始めます。
1年後にハワイへ移住し、有名なセーラー・ジェリーの元で弟子として働きます。 1973年にセーラー・ジェリーが亡くなり、マイク・マローンはセーラー・ジェリーの会社を買収し、『China Sea Tattoo』と名前を変えてオーナーとなり2001年まで継続してお店を続けていました。
その間にタトゥーフラッシュを郵便で販売するビジネスを始め、300シート、3000種類以上のタトゥーフラッシュを販売し、成功を収めていたそうです。
またタトゥーマシンビルダーとして名高い『Paul Rogers(ポール・ロジャース)の元にも足繁く通い、マシンビルディングの技術も習得し、『ROLLOMATIC』と言うマシンを売り出していました。
その後、テキサス州のオースティンでDave Lum(デイブ・ラム)とも一緒に働き、またエド・ハーディーとも共同でセーラー・ジェリーの本を発行したり、アパレルデザインとして販売したりと手広くタトゥービジネスをしていました。
短期間にハワイのホノルルに戻ったり、ミネソタに移ったりと、
移住を繰り返し、最終的にはシカゴへと移り住みます。
そこではKeith Underwood(キース・アンダーウッド)と共にTaylor Street Shopを始めます。
そして2007年の4月17日、シカゴの自宅にて、 拳銃による自殺で64年の生涯を終えました。 病気を苦にしての自殺と言われています。
アメリカだけに限らず、世界中のタトゥースタジオの壁に飾られるフラッシュには彼の作品も非常に多く、どれだけ人気があったのかを知る事が出来ます。
個性があり、とてもパワフルなデザインだけれども、
一般に広く受け入れやすいフラッシュを描いていました。
また、その一方でとても個性的な和と洋をミックスさせたデザインも描いています。
左の画像の様に背中一面にゴジラを描き、背景には和柄の見切りをデザインしたとてもユニークなタトゥー作品も残っています。
画像はありませんが、不動明王とアニメのポパイに登場するブルートを一緒に描いたりもしているそうです。
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